私は転勤でこの地に引っ越してきました。
嫌であれば会社を辞めることもできましたが、40才を前にして知り合いがいない土地で暮らすことを選んだのは、辞めれば年齢的に他社に正社員としての採用されることは難しいと思ったからです。
穏やかでゆっくりした感じの故郷で育ちましたが、転勤してからは対照的なはっきりした口調や気性が激しい人たちの中で揉まれ、苦悩する毎日でした。
転勤といえば外的に聞こえがいい時もありますが、実際はもっと生々しいものです。
男性と違ってやりやすいのか、私の言動の一つ一つを観察され、噂を流され、理不尽な叱責を受けることも多くありました。
生きるか死ぬか。
決して大袈裟ではなく、必死に膝で持ち堪えるような毎日を何年も過ごしました。
それでも私が踏ん張って、気持ちを立て直してここまでこれたのは、そっと支えてくれた人たちがいたからです。
もしも、あの朝、会社の誰にも気付かれないように様子を見に来てくれた同僚がいなかったら…
もしも、あの日、私を無理矢理部屋から連れ出して、クリスマス会に呼んでくれた人たちがいなかったら…
もしも、あの時、辛がる私の話を何時間も聞いてくれる友達や家族がいなかったら…
私は倒れていたに違いありません。
苦しかった時期は何年も続きましたが、その後に起きたことを考えると、人生の転機という大きな渦の中にいたように思います。
人は出会いで運気が変わる
2010年くらいだったか、一人の男性に出会いました。
出会った当初から今に至るまで、私の結婚について考えてくれている一人で、明るく気さくで、お兄さんのような、なんとも貴重な存在です。
話題が豊富な彼は、いつもたくさんの人と一緒にいて、少し難しい人生観や世界観など、時に冗談を交えながら小気味よいテンポで話してくれていました。
週に一度、彼の話を聞きたくて毎週水曜日の夜8時に何人かで集まっていましたが、時間ピッタリに席についているのは私だけ。
話の途中でだんだん人が増えてきて、終わるころには結構な人数になるのですが、彼には次の予定があるので毎回1時間ほどで終わっていました。
ほかの人が来るまでの彼から私への一対一の時間は、ほかの人がいたとしても内容が同じであるのは間違いないのですが、やはり波動というのか氣というのか、半端ないエネルギーを感じました。
転勤してから10年近く続いていた心塞いだ日々が終わり、この頃から少しずつ、新しい世界が広がっていく大きな楽しみを見つけて、私は息を吹き返していきました。
いてくれるだけで励みになる
大急ぎで仕事を終わらせ、晩ご飯を食べる時間もないまま、バスと電車を乗り継ぎながら往復2時間かけて通った道。
時の流れは早いもので、一緒に話を聞いていたメンバーで、大学生だった人は結婚して子供が生まれ、同じ年代の人は外見がおじいさんおばあさんになりました。
でも心は若人のまま、もちろん私も含めて。
中には亡くなった方もいらっしゃいます。
今はもう仕事が忙しくなって行かなくなりましたが、新しいメンバーも入って年齢層も広がって大きくなっているらしく、嬉しい限りです。
ずいぶん後になって彼から聞いたのですが、私が遅刻せず必ず毎回出席するのでとても励みになったそうです。
確かに、今思えば話し手としての準備はさぞ大変だったことでしょう。
私が一方的に恵みを受け取るばかりだと思っていましたが、どうやら違っていました。
「いてくれるだけで励みになる」
…この一言でどれだけ救われたか。
知らない土地で孤独に過ごした日々。
心の奥深くに埋めた悲しみは、たとえ口に出さなくても、誰かに理解してほしいと思わなくても、このような思わぬ形で癒されることがあるんだと知りました。
きっと、誰もみな、自分が気付いていないだけで、誰かの役に立ってることってあるんだと思います。
人生最大のピンチが長いこと続いた後で、やっとのこと人の痛みやありがたみが分かる成熟した大人の女性になれたと自負していますが、親しい人から言わせれば「少し人間らしくなってきた」だそうです。
まだまだ成長過程にいる感は否めません。
お蔭さまです。