日本の貧困家庭問題には、親の無責任と家庭教育の欠如がありました

家庭菜園ラディッシュ

コロナ禍が長くなり、この頃はテレビやネットの国内ニュースで何かにつけて貧困という言葉が使われるようになりました。

世界的に見ると、飢餓に苦しむ発展途上国に対して飽食といわれる日本の貧困問題には大きな違いがあり、個人の環境の差はあっても日本は恵まれた国にあたります。

最近ネットでは、事件や事故あるいは社会問題として取り上げられた内容について、原因は国や政治家や社会のせいだという意見が目に付くようになりました。

貧困家庭問題についても、原因は他者や体制にあるというのですが、本当にそうでしょうか。

確かにそういう部分がないとは言えませんが、私は問題の根本がもっと身近な、私たちの家庭そのものにあると思っています。

今回は、貧困家庭で育った27才の青年の記事を読んで、感じたことをお伝えします。

その青年は小学生の時から働き、15才で社会人になった後、20才の時には親が作った自分名義の借金が600万もあったうえ、身体を壊して思うように働けないでいるという、苦労の多い人生を歩んでいました。

子どもの教育は誰がするの?

家庭は社会の最小単位といわれるほど重要なもので、両親は役割に応じた責任を果たし、子どもは保護された中で養育されながら多くのことを学んだ後、子から孫へと次の世代に繋がっていきます。

青少年期の家庭での教育と親の在り方は、子どもの人生に大きな影響を与えるので、我が子が幸せになるためには親が親らしくある自覚と信念が必要になるでしょう。

親には、子どもが清く正しく美しく成長できるように、傘になったり防波堤になったりしながら見守っていく責任があります。

また、大人になってから個性に合った世界で人の役に立てるよう、特性を見出して伸ばしてあげるのも親の役目です。

私たちが当たり前のように思っている生活習慣や文化、また手洗いや入浴などの健康管理についても、家庭の中で自然と身についたものが多いですね。

お菓子をもらって「ありがとう、って言いなさい」、道で出会って「こんにちは、と挨拶しなさい」などと、子どもが周りにいる人達と良い関係性を結んでいけるようにするのも、結局のところ家庭でできることなのです。

知識は人から、知恵は天から。困った時は助け手探し

とはいうものの、今までは順調だったけれど、コロナ禍で貧困に陥り、子どもの教育どころではない切羽詰まった親御さんがいらっしゃると思います。

収入が少なすぎる時は公的な支援を受け、消費者金融やクレジットカードで無茶な借り入れはしないようにして、適切な環境を整えていくのがいいと思います。

それからこのご時世ですから、家族だけじゃなくて周りの大人たちみんなも、子どもに変わった様子がないか、不安な気持ちを親に言えなくて塞いでないか、痩せすぎてないか、気を配っていきましょう。

去年、ある男性に幼いころからの苦労話を聞いて「傍にたった一人でも親身になってくれる大人がいれば、この人は違う人生が歩めただろうに」と胸痛く思うことがあったので余計に、SOSを出せるような人と人との関りが大切に思えてなりません。

子どもは、大きくなったら誰かに恩返ししたらいい

貧困問題の解決には長期の教育が必要で、青少年の場合は特に時間がかかるものです。

経済的に早く自立したくて義務教育を終えてすぐ社会人になる子もいますが、できれば高校を卒業して、身体もある程度出来上がってから社会に出るのがいいように思います。

また、大学に進み勉強を続けて専門性を高めれば、より社会に貢献できるようになるので、本人が望めば進学させてあげたいですね。

そうして社会に出て豊かになったら、自分よりも恵まれない人が豊かに暮らせるように学んだことを教えて、相手も豊かに暮らせるようにしてあげればいいと思いませんか。

それは、子どもの時に良くしてくれた誰かへの立派な恩返しになります。

恩返しは本人に返さなくても、人から人へと巡らせていけばいいのです。

恵まれない立場の人を気に掛けながら生きることは尊いことです。

そして…

もしあなたが人生において大切な、良い家庭環境を持っていなかったとしても、どうか悲しく思わないでください。

親として子として、今から出来ることをやっていきましょう。前向きに。

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