家族と離れて住む高齢者の一人暮らしは、ご近所さんとの良い関係で安定する

親も子も若い時なら、子が自立して離ればなれに住むのもいいですが、親が年を取ってひとりで出来ないことが増えてくると、快適に暮らすには少し手助けが必要になってきます。

ありがたいことに今は、高齢者向けの家電、行政サービス、一般企業の見守りサービスなどが充実していて、情報を集めて必要なものや好みの物を選択して恩恵にあずかることができる時代になりました。

でも一方で、そこに人とのコミュニケーションがなければ、幸福を感じるには十分ではないでしょう。

離れて住む家族が気付かなかったり出来なかったりすることは、親の周りにいる人が代わりにしてくれていますよね。

結局は「遠くの親戚より近くの他人」ということわざのとおり、いざというとき頼りになるのは、遠く離れて暮らす家族や親類よりも、近所に住んでいる他人だと思うし、日常生活でも小さなことをたくさん助けてもらっていると実感します。

今回は、母が体験した「遠くの親戚より近くの他人」のお話です。

母おばこちゃん
母おばこちゃん

母 故郷で一人暮らしの84才 要支援1で、楽しみはデイサービス
カケホーダイの携帯電話がボケ防止のツール

離れてすむ家族をつなぐ携帯電話

わたしが転勤で故郷をはなれてからずっと、平日の朝は母とモーニングコールの交換をしています。

まず母が携帯電話でかけて数回鳴らして切り、その後わたしは実家の固定電話にコールを返すだけで、話をするわけではないのですが、お互い安心して1日をスタートしています。

そして、母はわたしを起こすのが重要なミッションのようにして、実に18年もの間このやりとりは続いています。

初めて母に携帯電話を持たせたきっかけは、入院中の父を看病する母が自宅にいなくても連絡が取れるようにするためで、父が亡くなってからは母もわたしと同様に一人暮らしとなり、ついにお互いの生存確認の手段となりました。

これで朝一番に、相手が生きていると分かり、連絡手段である携帯電話と固定電話が故障していないかの確認もできます。

なによりもすごいのは、母にとっては毎朝自分から電話をすることで、自分が家族に必要とされていると実感でき、規則正しい生活を送る目安になって、自尊心が高まるというところです。

時には忘れてかかってきませんが、ある程度時間が過ぎてこちらからかけてみると「あ、忘れて、ご飯食べてた」などといい、「そりゃご飯の方が大事よね」と笑い合うのも楽しいものです。

ひょっとして故障した?

さて、梅雨に入ったばかりのある朝、母から携帯電話の調子が悪いと連絡がありました。

その電話機は1月に交換したばかりで、しかも有償、そのうえ日帰り帰省して使えるようにしたというものです。

携帯電話が故障した話 ←1月の様子はこちらからどうぞ

日帰り帰省した話 ←日帰り帰省の様子もよろしければどうぞ

母によると、なぜか電源が切れてしまったので、電源を入れてみるのですがうまくいかないということでした。

電源ボタンを長押ししてもウントモスントモいわず、念のため充電してから試しても変わりはありません。

母は、みんなとのコミュニケーションツールである電話機が使えないことにショックを受けていて、そのうえ電話越しのせいか、なかなか話が通じませんでした。

途中で疲れたのでしょう、自分は年だからこれ以上無理だと投げやりな態度になってきました。

わたしは心の中で「怒っちゃいけない、落ち着いて、朝よ、朝一番の会話よ、これで今日どんな1日になるかが決まるの」と自分を落ち着かせ、出勤の支度を始める時間を気にして焦る気持ちを抑えつつ、深呼吸して話を続けました。

人は、相手との関係が近ければ近いほど、率直で辛辣な言葉を使いがちです。生活を共にしていない親であれば、実際の状況がはっきりわからないことが多いので、トラブルがあった時は親がどんな感情でいるかを考えながら会話することも大事になりました。

誤操作ではなさそう・・・リフレッシュ品ってこと思い出した

しばらくすると母は次第に落ち着いてきて、「キャップを閉めてくださいという表示が出たままだったから、あちこち触ったの。そしたら、そのまま切れたの」というではありませんか。

お母さん、変なところ押したりしたんじゃないの。…いや待てよ。これはひょっとして。

安物買いの銭失い、という言葉がスーっと頭の隅をかすめていきました。

今回故障したのは新品で買ったものではなく、回収した電話機をキレイにしたリフレッシュ品だったので、この時から母が言うとおり、本当に壊れたかもしれないと思い始めたのです。

そう、あの段階ではベストな選択だったのですが。

携帯電話が故障した話 ←リフレッシュ品に交換した話はこちら

日帰り帰省した話 ←受け渡しの様子も、よければどうぞ

結局、今度病院に行く日にショップに寄ってみると母が言うので、その前に誰かに電源が本当に入らないのか試してもらうようにと伝え、一旦電話を切りました。

この日は、思いも掛けずあわただしい朝のスタートになりました。

ご近所さん、いつも助けてくれてありがとう

さて、どうしたものか。

ショップに行くしかないとわかっていても、ただの電池切れだったら対応してくれる店員さんに申し訳ないので、果たして正しく(?)故障なのかが気になってしまい、故郷の従兄か友人に見てくれるよう頼もうかと考えていました。

ところが、動くまでもなく2日目の夜に母から朗報が入りました。

ご近所の若奥さんと話していて、ついポロリと電話が使えなくなったと言ったところ、若奥さんが電話の状態を確認してショップに連絡し、どうやら本当に故障しているらしいとなって、窓口の予約までしてくれたそうなのです!

契約者であるわたしは仕事で他県にいるので、使用者である80才を越えた母が窓口に行くことになるという、少し面倒なうちの事情もあらかじめ伝えてくださったと聞いて、本当に感激しました。

母がショップに行ったのは次の日でしたが、「今からすぐに行くなら、車で乗せていってあげますよ」との申し出もいただいて、それを伝える電話口から聞こえる母の声は、人の優しさにふれて嬉しかったのか明るく弾んでいました。

やはり遠い親戚より近くの他人なのです

高齢の親と離れて住む人にとって、親が困っている時に助けてくれる、親身になってくれるご近所さんがいることほど、ありがたいことはありません。

近所にはその若奥さんだけでなく従兄の家族もいて、案外多くの人たちが、天気が悪いゴミ出し日には家から遠いゴミ置き場までうちのゴミを運んでくれたり、母に声を掛けてくれたりするのです。

人との繋がりが強い田舎なので、母も若い頃には、近所のお年寄りや子どものお世話をしていた時期がありました。

今の近所付き合いは、時代の流れでしょう、昔ほどの濃いさ、親密さはないのですが、それでも昔ながらの隣人への気遣いが残っていることはありがたいものです。

やはり、どこに住んでいても、いつの時代でも、困った時はお互い様、出来る範囲で手助けをしつつ良い関係を持つようにしていれば、なんのことはないふだんの生活の中で幸福を感じることが多いように感じます。

そしてわたしは、母の対応をしてくれた店員さんに教えてもらった通りに電話受付で段取りをして、母がもう一度ショップに行って無事に手続きが終わりました。

年取った母に親切にしてくれる人たちが周りにたくさんいて、本当に感謝。うれしいです。ありがとう!

直接お礼はなかなかできないので、わたしがこれから出会う手助けが必要な人を心を込めて手助けして、世の中に巡らせていきたいと思います。

…そういえば、助け合うことは天が結んでくれる因縁だと聞いたことがあります。

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